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2022-06-16
アレッサンドロ・ネスタ | これまでで最もエレガントなディフェンダー
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アレッサンドロ・ネスタ(Alessandro Nesta, 1976年3月19日 – )は、イタリア・ローマ出身の同国代表の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。イタリア共和国功労勲章受章。

クラブ
ラツィオ
ラツィオでデビューした1993年当時のネスタ
1985年にラツィオのユースアカデミーに加わり、17歳でトップチームデビュー。その後10代後半から主力として活躍。20代前半でラツィオのキャプテンを任された。1998年のコッパ・イタリアではACミランとの決勝戦でゴールを奪い、その年のセリエA最優秀若手選手賞に選ばれた。1999-2000シーズンのスクデット獲得の際にも中心選手として貢献した。

ミラン
ミランでプレーするネスタ
2002年、ラツィオの財政難が原因で移籍金3000万ユーロでACミランに移籍。当時ラツィオのシンボルであったネスタの移籍に対してラツィオサポーターが抗議行動が起こった。しかし移籍する際のネスタのコメントとして「移籍するならばそれはラツィオの実りのためだけにだ」という言葉を残した。

移籍初年度、UEFAチャンピオンズリーグ、コッパ・イタリアを獲得した。その後も高いパフォーマンスを見せて、多くのタイトル獲得に貢献しているものの、2006-07シーズンに肩を怪我した。2008-09シーズンにも怪我が再発し、そのシーズンのほとんどを棒に振った。この怪我で一時は引退を考えたという。2009-10シーズンはレギュラーとして高水準のプレーをみせ代表復帰も囁かれたものの、結局シーズン途中で負傷したこともあり23試合の出場に終わった。

モントリオール・インパクト
モントリオール・インパクトでプレーするネスタ(2013年)
2012年5月10日に10年間所属したミランを退団することを発表。7月5日にモントリオール・インパクト移籍が発表された。

2013年11月7日に現役引退を発表した。

チェンナイイン現在のバルセロナ
2014年11月27日、同胞のマルコ・マテラッツィが選手兼監督を務めるチェンナイインFCで現役復帰。2015年に再び現役引退。

イタリア代表
イタリア代表としては1996年10月5日に行われた1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のモルドバ代表戦でデビュー。1998 FIFAワールドカップではグループリーグのオーストリア代表戦にて負傷し、決勝トーナメントは不出場に終わった(イタリアはベスト8敗退)。

2000年にオランダとベルギーで共同開催されたUEFA EURO 2000では全6試合に出場すると、チームの準優勝に貢献し、大会優秀選手に選出された[7]。

2002 FIFAワールドカップではグループリーグのクロアチア代表戦にて負傷し、決勝トーナメントは不出場に終わった(イタリアはベスト16敗退)。2006 FIFAワールドカップでは、グループリーグのチェコ代表戦にて負傷し、決勝トーナメントでの出場は叶うことはなかった。ドイツワールドカップにてイタリア代表は24年ぶり4度目のワールドカップ制覇を成し遂げたが、ネスタ自身としては前2大会も含め不本意な大会となった。

2006年10月11日に行われたUEFA EURO 2008予選のグルジア代表戦が最後の代表出場となり、2007年8月1日に代表引退を表明した。イタリア代表としての通算成績は国際Aマッチ78試合出場0得点。

指導者
2015年8月31日、北米サッカーリーグに2016年から新規参入するマイアミFCの監督就任が発表された。同クラブはミラン時代の同僚パオロ・マルディーニが共同オーナーを務めている。

2018年5月14日、セリエBのペルージャ・カルチョの監督に就任した。2018-19シーズンは8位となりセリエAへの昇格プレーオフに進出するも、1回戦でエラス・ヴェローナFC相手に敗れたのち、2019年5月21日にクラブを去った。

2019年6月17日、同じくセリエBのフロジノーネ・カルチョの監督に就任した。

評価
ミランのOBであるフランコ・バレージは「ネスタのいないミランは考えられない」とミランにおけるネスタの重要性を表現した。ミランの監督のマッシミリアーノ・アッレグリはネスタを「イタリア史上最高のDF」であり、チームで最も優れた選手であると評価した。

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